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歴史、沿革
企業組合針谷建築事務所は今から74年前の昭和21年(1946年)1月18日、静岡市の鷹匠において産声を上げました。終戦から間もない創設当初はその名を「静岡建設勤労自治会」と名乗っておりました。創設者である岡本滋、針谷正作のもとに数人の若き労働者が集まり、焦土と化した静岡を前に復興への強い意志を持って土木作業や大工で生計を立てていました。これが現在の針谷建築事務所のルーツであります。建設や土木の仕事を求めて県内だけでなく時には県外にまで足を延ばし本来の設計の実績も積み上げる中、同時にカルチャー的な仕事においてもその巾を拡げていきました。今では想像もつかないものですが、手芸やダンス、茶道や華道の指導などでも収入を得ておりました。これは、戦後の価値の転換期の中で、民主的で文化的な生活への希求をうかがわせる針谷事務所ならではの歴史の一端ではあります。
こうして働きたいものが自主的に集まり、協同で経営をして、利益を配分し、財産を共有し、自ら運営をするという自主、協同の精神が基になって現在の「企業組合」という運営母体が昭和25年に誕生しました。
こうして働きたいものが自主的に集まり、協同で経営をして、利益を配分し、財産を共有し、自ら運営をするという自主、協同の精神が基になって現在の「企業組合」という運営母体が昭和25年に誕生しました。
コンセプト、活動方針、活動理念
設計事務所の役割とは社会の要請に応じて合理的な考えの基に、妥当性を持ち、芸術性を携えた建物を社会資本として設計することにあります。さらに建築は竣工して終わりではなく時間の経過に従ってその使われ方を変えるため、改修や改造という手法で世の中に馴染むように、設計が見直される事もあります。つまり建物は使う人や使われる社会に相対的なものであり、建物の竣工後20年後、30年後に至ってもなお、その使われ方を設計事務所は常に見守っていく必要性があるのです。実はここに現代の建築設計事務所が問われている承継性、存続性の問題があります。時代のデザイン、普遍のデザインを探求すると同時に、リニューアルや増築、減築、そして建築の最後を看取るまで、設計事務所はどんな時にでも施主、使用者、市民の皆さんと共に建物に寄り添う使命を持っているのです。
だからこそ設計事務所にとって時代を超えて存続することは重要な運営課題であり、その課題に対して我々針谷建築事務所は企業組合という組織を以てしてこの70有余年で答えを出してきました。それはどんな時代にも通用する存続性であり、新陳代謝する組合としての流動性でありフラット性でもあります。
現在在籍する30人の所員(組合員)は、建築に大いなる情熱を燃やし建築にかける創作意欲にあふれる30人であります。針谷の歴史と共に生きて、将来への希望と共に飛躍する彼らは、市民の描く都市像を推進しその実現のための努力を惜しみません。かけがえのない私たちの静岡、74年前の復興に燃えた先達の意思を胸に携え、新たなる都市空間の創出に所員は真摯に力を注いでまいります。社会の姿が様々な要因でたとえ変わろうとも、社会資本の充実のためにさらに経験を積み上げ技術と知性を磨いていく所存であります。今後とも企業組合針谷建築事務所をよろしくお願い申し上げます。
だからこそ設計事務所にとって時代を超えて存続することは重要な運営課題であり、その課題に対して我々針谷建築事務所は企業組合という組織を以てしてこの70有余年で答えを出してきました。それはどんな時代にも通用する存続性であり、新陳代謝する組合としての流動性でありフラット性でもあります。
現在在籍する30人の所員(組合員)は、建築に大いなる情熱を燃やし建築にかける創作意欲にあふれる30人であります。針谷の歴史と共に生きて、将来への希望と共に飛躍する彼らは、市民の描く都市像を推進しその実現のための努力を惜しみません。かけがえのない私たちの静岡、74年前の復興に燃えた先達の意思を胸に携え、新たなる都市空間の創出に所員は真摯に力を注いでまいります。社会の姿が様々な要因でたとえ変わろうとも、社会資本の充実のためにさらに経験を積み上げ技術と知性を磨いていく所存であります。今後とも企業組合針谷建築事務所をよろしくお願い申し上げます。